Japan, 〒861-0163 Kumamoto, Kita Ward, Uekimachi Toyooka, 字舟底858−1外
田原坂公園 is a Park located at Japan, 〒861-0163 Kumamoto, Kita Ward, Uekimachi Toyooka, 字舟底858−1外. It has received 477 reviews with an average rating of 4.0 stars.
Monday | Open 24 hours |
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Tuesday | Open 24 hours |
Wednesday | Open 24 hours |
Thursday | Open 24 hours |
Friday | Open 24 hours |
Saturday | Open 24 hours |
Sunday | Open 24 hours |
The address of 田原坂公園: Japan, 〒861-0163 Kumamoto, Kita Ward, Uekimachi Toyooka, 字舟底858−1外
田原坂公園 has 4.0 stars from 477 reviews
Park
"西南戦争の激戦区 として有名な田原坂 (ΦωΦ)今回は五年前に訪れてからの二回目になります。 前回 訪れた時よりも館内の展示は大きく変わっていて、より素晴らしくなっていました。 もう一つ大きく変わっていたのが、展示されてる掲示物の説明文やコメント(ΦωΦ) 五年前には薩摩軍に対する書き方が、どちらかと言うと賊徒の集団のようにが書かれていて、官軍は正義の味方的な印象を受けたのですが(当時の現地の人達の感情からすれば薩軍がいきなりやって来て食物を徴発したり、軍夫に駆り出されたり、そのため家や村を焼かれたりで、薩軍の思想も事情も彼らには全く関係なく、実際は無理矢理巻き込まれて多くの被害を被ったので、官軍が来ることでその災厄の元が居なくなったのですから、当然の感情だとは思いますが(ΦωΦ) 。)今回は、その後 大河ドラマ「西郷どん」が放映されたからでしょうか。薩軍やその前に反乱を起こした不平氏族達の立場にも立っていろんな説明がされていて、彼らの苦しい事情や追い込まれて反乱に立ち上がった経緯などがが書かれていて 、彼らの名誉回復も大きくされているのだなぁって思いました(ΦωΦ)ただ、展示スペースに余裕が有れば以前の掲示物も一緒に掲示してもらえると、当時の地元の感情も併せて理解出来てより良かったのではと思います。官軍の戦死者の中には僕の地元の方も多くいるので、また、数年後には慰霊のつもりで訪問させて頂きたいと思います。(ΦωΦ)
訪問日
平日
待ち時間
待ち時間なし
予約をおすすめしますか?
わからない"
"『田原坂公園』の<展望台>から見渡すと、激戦が行われたことを想像出来ないほどのどかな景色が広がっています。 地図を広げてもらうと分かると思うのですが。 この辺りは丘陵地帯の中に“細く街道”が伸びている地形となっていて。 昔は、熊本への物資を運ぶ《重要》な街道であったとか。 そして、狭い街道を両側から挟む丘陵地帯には。 街道を進む軍隊を睨む“軍事拠点”が作られ。 『熊本城』の軍事本隊を防衛する<前衛基地>として“重要拠点”となってました。 (地形的にも《守に易く》《攻めるに難い》難儀な“地理的重要拠点”だったようです) だから、西南戦争の当時に苛烈な戦闘が行われたのです。 大した標高も無い“田原坂”ですが。 その当時は『熊本城』から『田原坂』まで、専用の馬車道が“掘られ”ていて。 激戦の中でも“兵站(ヘイタン)”が確保される工夫が凝らされていたとか。 そのため政府軍は手酷い抵抗に苦労し、明治維新の歴史に深い傷跡となって今に伝えられているのだと・・・ ーー雨は降る降る 人馬は濡れる ーー越すに越されぬ 田原坂・・・ と、その後に歌も作られました (西南戦争については、歴史記念資料館へ。 おすすめします)"
"明治維新の激動期…明治10年1月29日から9月24日の長きにかけて、旧薩摩藩の不平士族を中心に政府軍との熾烈な戦いが、熊本県を中心に繰り広げられた、西南の役。最北の戦地は、現玉名市街地の高瀬だが、最大の激戦地だったのは、現植木町の田原坂周辺。3月20日に17日間の激闘の末、政府軍が制圧。この後は薩軍はジリ貧となっていく。西南戦役では官軍死者6403名…薩摩軍死者6765名計13168名の此れから維新の日本を担う貴重な若い命が失われた。薩軍の死者は密かに埋葬された可能性も有るので、データーより多い可能性もあると云われる。官軍に限って云えば、9ヶ月の内の僅か17日間の田原坂の戦いで、25%の兵士が戦死している。此処が如何に過酷な戦いだったのかが判る。両軍の弾が空中で衝突した遺物も有るとか…。此処に立つと、ロシアが不法にウクライナに侵略を試みている今日、戦争の虚しさを思わせる。'24年冬。 余談ですがの内戦、南北戦争では、北軍36"
"友人との旅行で行きました。 佐賀県に住んでいる友人が運転して連れて行ってくれました。 「田原坂」と言っても私には、ピンとこなかったです。 知っている事は、「西南の役」の名前と「雨は降る降る、人馬は濡れる」と言う歌の歌詞だけです。 そこで、実際の田原坂を車で走ってから、田原坂公園と田原坂西南戦争資料館へ行きました。 入り口には、石碑があり中に進むと西南戦争で亡くなった方々の都道府県別に名前が刻んでありました。 私が住む、東京都からもどちらか判然としませんが、撮った写真に東京都251名と載っていました。 凄い人数が動員され、それぞれの立場で戦ったのですよね。 資料館にも行きましたが、時間がなかったのでゆっくりとみる事は出来ませんでしたが、日本の国の最大の内戦だったと思っています。 徳川から明治政府が出来て、士族が中心の西郷軍と徴兵を中心にした政府軍の凄まじい戦いがあったのですね。 この様な事があって日本国が段々国らしくなってきたのだと思っています。 初めて行った、田原坂。 車の中から撮った写真は、普通の山道ですが、ここで凄い戦争があったことは心の中で留ておきたい事実です。"
"田原坂の戦いを伝えるための民謡 雨は降る降る 陣羽(じんば)は濡れる 越すに越されぬ 田原坂 右手(めて)に血刀 左手(ゆんで)に手綱 馬上ゆたかな 美少年 山に屍 川に血流る 肥薩の天地 秋にさびし 草を褥(しとね)に 夢やいずこ 明けのみ空に 日の御旗 泣いてくれるな かわいの駒よ 今宵しのぶは 恋でなし どうせ死ぬなら 桜の下よ 死なば屍に 花が散る 田原坂なら むかしが恋し 男同士の 夢の跡 春は桜よ 秋ならもみじ 夢も田原の 草枕 (熊本民謡) え~と、「雨は降る降る じんばは濡れる・・・」のじんばは、もともと「陣羽」という雨具が濡れるという意味であったが、その後に「人馬」が濡れるというふうに改変されたらしい。 最近では平仮名で「じんば」と記すようだ。"
西南戦争の激戦区 として有名な田原坂 (ΦωΦ)今回は五年前に訪れてからの二回目になります。 前回 訪れた時よりも館内の展示は大きく変わっていて、より素晴らしくなっていました。 もう一つ大きく変わっていたのが、展示されてる掲示物の説明文やコメント(ΦωΦ) 五年前には薩摩軍に対する書き方が、どちらかと言うと賊徒の集団のようにが書かれていて、官軍は正義の味方的な印象を受けたのですが(当時の現地の人達の感情からすれば薩軍がいきなりやって来て食物を徴発したり、軍夫に駆り出されたり、そのため家や村を焼かれたりで、薩軍の思想も事情も彼らには全く関係なく、実際は無理矢理巻き込まれて多くの被害を被ったので、官軍が来ることでその災厄の元が居なくなったのですから、当然の感情だとは思いますが(ΦωΦ) 。)今回は、その後 大河ドラマ「西郷どん」が放映されたからでしょうか。薩軍やその前に反乱を起こした不平氏族達の立場にも立っていろんな説明がされていて、彼らの苦しい事情や追い込まれて反乱に立ち上がった経緯などがが書かれていて 、彼らの名誉回復も大きくされているのだなぁって思いました(ΦωΦ)ただ、展示スペースに余裕が有れば以前の掲示物も一緒に掲示してもらえると、当時の地元の感情も併せて理解出来てより良かったのではと思います。官軍の戦死者の中には僕の地元の方も多くいるので、また、数年後には慰霊のつもりで訪問させて頂きたいと思います。(ΦωΦ)
訪問日
平日
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わからない
『田原坂公園』の<展望台>から見渡すと、激戦が行われたことを想像出来ないほどのどかな景色が広がっています。 地図を広げてもらうと分かると思うのですが。 この辺りは丘陵地帯の中に“細く街道”が伸びている地形となっていて。 昔は、熊本への物資を運ぶ《重要》な街道であったとか。 そして、狭い街道を両側から挟む丘陵地帯には。 街道を進む軍隊を睨む“軍事拠点”が作られ。 『熊本城』の軍事本隊を防衛する<前衛基地>として“重要拠点”となってました。 (地形的にも《守に易く》《攻めるに難い》難儀な“地理的重要拠点”だったようです) だから、西南戦争の当時に苛烈な戦闘が行われたのです。 大した標高も無い“田原坂”ですが。 その当時は『熊本城』から『田原坂』まで、専用の馬車道が“掘られ”ていて。 激戦の中でも“兵站(ヘイタン)”が確保される工夫が凝らされていたとか。 そのため政府軍は手酷い抵抗に苦労し、明治維新の歴史に深い傷跡となって今に伝えられているのだと・・・ ーー雨は降る降る 人馬は濡れる ーー越すに越されぬ 田原坂・・・ と、その後に歌も作られました (西南戦争については、歴史記念資料館へ。 おすすめします)
明治維新の激動期…明治10年1月29日から9月24日の長きにかけて、旧薩摩藩の不平士族を中心に政府軍との熾烈な戦いが、熊本県を中心に繰り広げられた、西南の役。最北の戦地は、現玉名市街地の高瀬だが、最大の激戦地だったのは、現植木町の田原坂周辺。3月20日に17日間の激闘の末、政府軍が制圧。この後は薩軍はジリ貧となっていく。西南戦役では官軍死者6403名…薩摩軍死者6765名計13168名の此れから維新の日本を担う貴重な若い命が失われた。薩軍の死者は密かに埋葬された可能性も有るので、データーより多い可能性もあると云われる。官軍に限って云えば、9ヶ月の内の僅か17日間の田原坂の戦いで、25%の兵士が戦死している。此処が如何に過酷な戦いだったのかが判る。両軍の弾が空中で衝突した遺物も有るとか…。此処に立つと、ロシアが不法にウクライナに侵略を試みている今日、戦争の虚しさを思わせる。'24年冬。 余談ですがの内戦、南北戦争では、北軍36.5万人。南軍29万人。計65.5万人と巻き添えの市民5万人が亡くなっていて、太平洋戦争の戦死者40万人の倍近い…何て事やってくれたんだ…って話しですね…
友人との旅行で行きました。 佐賀県に住んでいる友人が運転して連れて行ってくれました。 「田原坂」と言っても私には、ピンとこなかったです。 知っている事は、「西南の役」の名前と「雨は降る降る、人馬は濡れる」と言う歌の歌詞だけです。 そこで、実際の田原坂を車で走ってから、田原坂公園と田原坂西南戦争資料館へ行きました。 入り口には、石碑があり中に進むと西南戦争で亡くなった方々の都道府県別に名前が刻んでありました。 私が住む、東京都からもどちらか判然としませんが、撮った写真に東京都251名と載っていました。 凄い人数が動員され、それぞれの立場で戦ったのですよね。 資料館にも行きましたが、時間がなかったのでゆっくりとみる事は出来ませんでしたが、日本の国の最大の内戦だったと思っています。 徳川から明治政府が出来て、士族が中心の西郷軍と徴兵を中心にした政府軍の凄まじい戦いがあったのですね。 この様な事があって日本国が段々国らしくなってきたのだと思っています。 初めて行った、田原坂。 車の中から撮った写真は、普通の山道ですが、ここで凄い戦争があったことは心の中で留ておきたい事実です。
田原坂の戦いを伝えるための民謡 雨は降る降る 陣羽(じんば)は濡れる 越すに越されぬ 田原坂 右手(めて)に血刀 左手(ゆんで)に手綱 馬上ゆたかな 美少年 山に屍 川に血流る 肥薩の天地 秋にさびし 草を褥(しとね)に 夢やいずこ 明けのみ空に 日の御旗 泣いてくれるな かわいの駒よ 今宵しのぶは 恋でなし どうせ死ぬなら 桜の下よ 死なば屍に 花が散る 田原坂なら むかしが恋し 男同士の 夢の跡 春は桜よ 秋ならもみじ 夢も田原の 草枕 (熊本民謡) え~と、「雨は降る降る じんばは濡れる・・・」のじんばは、もともと「陣羽」という雨具が濡れるという意味であったが、その後に「人馬」が濡れるというふうに改変されたらしい。 最近では平仮名で「じんば」と記すようだ。
田原坂という看板が目に入り初めて公園に来ました。 ここは西南戦争は明治10年(1877)、西郷隆盛率いる鹿児島士族が起こしたわが国最大の内乱で、明治維新の総仕上げともいうべき役割を果たした戦争です。 熊本はほぼ全域が戦場となり、熊本城の炎上、田原坂の激闘がよく知られています。 17日間の戦と記されています。『雨は降る降る人馬は濡るる』という民謡も有る様です。 特別に見どころは有りませんが 田原坂の西南戦争の事が書かれた石碑などがあちらこちらに展在しています。 美少年の銅像もありました。 架空の方‥の様ですね 遊歩道も有りますので散歩しながら 歴史に触れるのも良いかもですね。 散歩の途中ぷくぷくっとした猫ちゃんがいました
歴史資料館も併設してます。 展示は充実してます。 歴史好きにはたまりませんね。ここをみて熊本城けんがくするとより面白いです。駐車場はかなり広いですね。駐車場出て左手に車を走らせると、三の坂、二の坂、一の坂とあります。昔におもいを馳せることができますね。地元の人々には迷惑ないくさだったでしょうね。 結局西郷さんは下野してから死に場所を求めていたように思われます。 当時要職に就いた人々が愛人を囲い別荘を持ったなか彼の家は赤貧でした。 地元鹿児島でいつまでも愛される所以です。
訪問日
平日
待ち時間
待ち時間なし
予約をおすすめしますか?
いいえ
詳しくは他の方々がコメントされてますから省略しますが、昼間は南側?の駐車場側が正面らしいので、そちらに車なりなんなり止められて、公園へ行かれた方がいいみたいです。 最寄り駅は田原坂駅ですが徒歩3~40分ほどですし、バス利用も不便極まりないから、植木駅等からタクシー利用の方が良さげです。 夜間は、駐車場が午後7時までで閉門しますから、美少年がある出入り口にある狭い駐車場に車を止めて下さい。 久しぶりに公園の中に入ったら、コンビニが乱立してるご時世からか売店が閉鎖されており、やむを得ない事なんですけど団子とかのオヤツがあり、なんか寂しい気がしますね。
あめは~ふるふ~る じんばあはあ ぬうれえる~ 遠い昔 修学旅行時のバスガイドのお姉さんが歌ってくれた節回し 今でも覚えています 我が国最後の内戦の激戦地⚔️ 2023/3/31 17:00 人影無し は落花盛んで葉桜‼️ 猪注意の看板多数でハラハラドキドキです 今月は時期的に花粉飛散や黄砂️ PM2.5の影響かなかなか晴天にならないね霞みや朧は春の季語だから仕方ないけど… ツツジの季節に再訪しようかな
訪問日
平日
待ち時間
待ち時間なし
雨は降る降る人馬は濡れる こすに越されぬ田原坂 日本最後の内戦となった西南戦争 その中で最大の激戦地となった田原坂 その戦いは17昼夜におよび 飛び交った銃弾は32万発におよんだと記されています。「西南戦争と田原坂」熊本県観光サイトー 歌にうたわれる「馬上豊かな美少年」が誰であるのか? 謎は解けないままですが 日本の急速な近代化の波にあがらい散った「強者どもの夢」というにはあまりに激烈で過酷な生き様を しばし偲んでみては如何でしょうか? 九州自動車道植木インターから車で10分弱のところです。
平日に田原坂へ行って来ました。車で 熊本市内から北バイパスをずっとまっすぐに行くと30分ほどで田原坂公園の(無料)駐車場迄たどり着きます。 天気も良かったので、気持ちも晴れて 緑が綺麗で、景色も良く見えます。 平日かもですが、売店は閉まってました。(トイレはありました) 駐車場に自販機があって、缶コーヒーが未だに110円だったのにはびっくりしました。 田原坂公園には自然と歴史(説明してあります)があり、夜は怖いですが、 明るいお昼に行くと癒やされますよ。
訪問日
平日
何でここが激戦の地になったのか?がものすごーくわかりやすくいところです。そもそもここが要衝となったのは加藤清正の戦略だったというのは、壮大な大河ロマンを感じるポイントでした。 田原坂の道は、今はきれいに舗装もされているので車で走ることも出来ますが、ぬかるみもありつつ、大砲を人馬で引っ張った時代に思いを馳せながら、徒歩で公園まで登ってみるのもなかなかよいです。その場合は一の坂に駐車場があります。 公園はとても見晴らしがよく、資料館もあるので、じっくり見て楽しみたい人にはおすすめです。
今回初めて九州一周のツーリングを計画し、その第一番目に「田原坂」を入れました・・・宮城県の者としては「戊辰戦争」で敗戦した方ですので多少複雑な思いもありますが、時代が変わろうとした始まりが「戊辰戦争」ならば・・・その終わりが「西南戦争」なのかもしれませんね・・・ 今となっては、いずれも懸命に生きた人々・・・特に命を懸けた若者たちに思いを寄せて、訪問させていただきました・・・。 公園を歩いているときに・・・真っ白な猫が近づいて来ましてね・・・
桜を見に行きました。 高台にあり、景色がいいです。 のどかで、癒されます。 こんな所で、西南の役があっていたなんて信じられないです。 戦没者の名前が刻んでありました。 すごく数に驚きます。 思わず合掌しました。 トイレや記念館があります。 17時ごろに寄りましたから、閉館だったのでしょう。 駐車場には車が3台ありました。園内には老夫婦が1組いらしただけでした。 昔は落武者の幽霊をみた噂をよく聞きました。
玉名(近く)の丸山キャンプ場にキャンプに行った帰りに20年振りに立ち寄りました。 二の坂、三の坂方向の説明板が全く読める状態では無かったのが残念でした↘ 数多の将兵達がここで命のやり取りをしたとは思えないほど、今では静寂に包まれた場所です。
訪問日
週末
待ち時間
待ち時間なし
予約をおすすめしますか?
わからない
歴史的な名所です。 車で行くことが多いと思いますが木葉駅から坂を登り公園に、公園から坂を下り田原坂駅に徒歩で70分程、資料館閲覧、公園散策も含めると120分位の所要時間、是非歴史の経緯を考えると徒歩での観光をお勧めします。私が訪問した際は(徒歩)20ミリ近くの雨の中でまさに「雨は降る降る人馬は濡れる、越すに越されぬ田原坂」でした(馬は連れて居ません)
第一印象は、「なんだココ」と思ったのが、第一印象でした。整備されてなく、とても有名なところなのに、建物も、放置状態で、解体した方が早いのでは?と思うくらい、すごい状態で、びっくりしました。素晴らしいところなので、もう少し、整備されてもいいと思います。 来た人が、ガッカリしない様に、もっとして欲しいと、心から、思いました。 …
西南戦争の激戦地にある資料館です。 博物館までの道に街灯は少なく、明るいうちに訪問した方が良いと思います。 西南戦争における熊本の戦いが時系列でわかりやすく説明されており、当時使用された火砲の展示もされています。
訪問日
平日
待ち時間
待ち時間なし
予約をおすすめしますか?
いいえ
西南戦争最大の激戦地な場所です 資料を見るより来てどれだけ難所だったのかがよくわかります 公園も整備されています ただ...気になったんですが 現存じゃない弾痕の家を復元しなくても普通に建物(中は日本赤十字社の資料館)でよくないんじゃないかと^_^; 弾の痕まで残ってると思ったら再現...がっかりでした(_ _;)
絶対に風化させてはいけない歴史のある場所です。 一度は行って日本の未来を想って戦った人達に祈りを捧げましょう。 赤十字の資料館は無料です。 西南戦争資料館の無料スペースの展示も良いです。 スタッフも感じの良い人達です。 西南戦争を知ってなお、ここで肝試しやるような輩は馬(の霊)に蹴られて死んだらええねん!!
今年の大河ドラマのクライマックスに登場すると思いますが この地が戦場になった訳 熊本城の目的とか考えて お邪魔するとワクワクしてしまいます (ブラタモリの熊本城の放送は神でしたね) 薩軍の亡くなられた方々の名前 出身地の石版を見上げると 悲しい気持ちにもなり 全体の神聖な雰囲気に感無量です
田原坂ということで西南戦争の激戦区であったところですね。 春には桜が咲いて人気のスポットになるのですが、向かったその日はあいにく夏のどんよりとした曇りの日。きれいな景観が望める高地ですが、どんよりとした空気の中を進むと、どこか重苦しい雰囲気でした。 歴史を学ぶにはこの上ないところです。
官軍、薩摩軍の若者がそれぞれの正義を守るための戰場としてそこにいて、今は柔らかい陽射しと小鳥のさえずりか聴こえのんびり散策出来る場であるということに想いをはせさせました
訪問日
週末
待ち時間
待ち時間なし
予約をおすすめしますか?
いいえ
学校で習いました西南戦争または西南の役は、1877年(明治10年)1月29日から9月24日に現在の熊本県・宮崎県・大分県・鹿児島県において西郷隆盛を盟主にして起こった士族による武力反乱。 明治初期に起こった一連の士族反乱の中でも最大規模のもので、日本国内で最後の内戦となっている。
西郷どんの影響もあり行きました。小高い丘みたいな所で駐車場も整備されており資料館や記念碑などがありボランティアガイドの方もおられるようで団体の方々に当時の風景や西南戦争で使われた物の写真を見せながら説明をしておられました。桜やツツジも植えてあり季節によっては花も楽しめます。
国内最後の内戦の地と言われる田原坂です。 今まで幾つものTVドラマなどで取り上げられた所で、大勢の血が流れた歴史の重みを感じながら歩くと、独特の感慨があります。 ぜひ一度訪れてみてください。 桜見物でにぎわう季節より、人けの無い秋の少しもの寂しい頃の方が良いでしょう。
無知で、心霊スポットのイメージがあったのですが、桜が見られる広くて静かな場所でした。 花見客の中、野良猫数匹が住み着いていて和みました。 西南戦争のことを知らず、そこが戦地だったとのことで、戦死者の名前が刻まれた石碑で初めて知り、小さな資料館もあり勉強になりました。
西南の役 最大の激戦地。 夜は肝試しスポットになってるようですが、日本の歴史上とても重要な場所なので、一度は訪れたい。 馬上にのる美少年の像や、慰霊碑などあります。 また、おおがかりな地形模型もあるので、どのように田原坂で官軍、薩軍がぶつかったのか分かりやすかった。
木葉駅と田原坂駅は、1時間かからず歩けます。また、電車は20分刻みで動いてます。なので、熊本駅からなら、3時間見込めばさっと見る事は出来ます。さて、見てからに普通の丘が並んだ田舎と言う感じでした。ただ、起伏が激しいので、戦が激しかったのは想像がつきました。
西南戦争の激戦地〜田原坂…。 公園内にミュージアムがあり、当時の状況を再現したビデオや戦さに使用された銃や遺品などが多数展示されています。
訪問日
平日
待ち時間
待ち時間なし
予約をおすすめしますか?
いいえ
西郷さん、そして西南戦争ゆかりの田原坂。 この景色に、かって四千有余名が散る壮烈な戦いがあったんだと思うと手を合わさずにいられませんでした。 大河ドラマ「西郷どん」あっていますが、改めてしっかり勉強したいと思います。 それにしても風光明媚な場所ですね。
明治維新。はじめは授業で習う単なる歴史の中の出来事でした。いろんなことを知るにつれ、当時の若者たちが、本気で国を愛し、国を憂いながら、拓いてきた道筋なのだな、と思えます。私たちも一所懸命生きていかねば、顔向けできません。ありがとうございました。
7~8年ぶり以前5回程訪れました。資料館が移設改築され、展望台が新たに新設され素晴らしい眺望が望めます。一見の価値有りです。
訪問日
平日
待ち時間
待ち時間なし
予約をおすすめしますか?
わからない
地元民には小さい頃から遠足などでお世話になってきた場所です 園内には桜やツツジ等があり季節ごとに違う景色で楽しませてくれます
訪問日
祝日
待ち時間
待ち時間なし
予約をおすすめしますか?
いいえ
日本国内最後の内戦である田原坂の戦いの資料館。戦いの経緯をわかりやすく解説。官軍・薩軍両軍戦死者のご冥福を祈ります。
訪問日
週末
待ち時間
待ち時間なし
予約をおすすめしますか?
いいえ
静かで良いところですが バス停も電車もなく自家用車で来るしかありません。観光地なので もったいない気がします。
訪問日
平日
待ち時間
待ち時間なし
予約をおすすめしますか?
はい
冬に来ても小鳥の囀るのどかな里山公園。 しかし、その昔は西南戦争の激戦区となり、無数の魂が散っていった悲しい過去のある地。 祖先たちが今に残してくれた平和というものを、しっかりと理解して、大切に生きて行きたいものです。
熊本に暮らしていた時にどうしても行きたいと思った田原坂。東北生まれの私にとってはそう簡単に訪れることが叶わないところです。西南戦争の昔を偲んで、またいつか熊本に行ってみたいです。40年ほど前少女漫画で読んだのですよね。
G.W.にこちらに立ち寄りました。人も少なくてのんびりお散歩できました。日本最後の内乱の地とは思えないぐらいのんびりしたところで結構好きな感じの公園でした。 薩摩軍も官軍もどうか安らかに…
訪問日
祝日
色々いわく付きではある田原坂 どんな所かと行ってみました。 まずは、本来の田原坂を登ります。一の坂~三の坂まであり、そこを登りきると公園になってます。 展示館みたいなものがあったのですが、そこは閉館中 残念でした。
大昔学生時代に仲間と夜中に肝試しで来て以来にお邪魔しました。今となっては綺麗に整備され怖さもなくなってるのでは?歴史に興味あり再来しました。公園からはみかん畑、金峰山、雲仙普賢岳が一望できます …
西郷隆盛の大河をはまって見ていたので、、、なんとなく切なくなりました。すごくきれいに整備されて広かったです❣️展望台からの景色がきれいでしたお正月で閉まってましたが資料館もありました^ ^ …
GW中に、久しぶりに来ましたがっ 沢山の人で溢れかえってました(^◇^;)っ 木の下の美少年の像の辺りには沢山の人が集まってましたね、やはりいつの時代も美少年は人気のようです(^◇^;) …
日本最後の内戦があったと言われる田原坂は、ツツジが咲く綺麗な公園です。4000人余り亡くなられたとは思えません。4月16日に訪れたので、ツツジはゴールデンウィーク頃が見頃ではないでしょうか。
初めて来ました。思った以上に重みのある公園でした。当時の激戦が偲ばれ沢山の戦没者の慰霊碑に手を合わせてきました。また、日本赤十字の発祥の地であることを初めて知り資料等を見て感銘を受けました。
鹿児島出身なので西南戦争の場所に行くのは念願でしたので良かったです。
訪問日
平日
待ち時間
待ち時間なし
予約をおすすめしますか?
いいえ
西南戦争の激戦地で、地元では 色々な噂が有る〇〇スポットとしても有名~まぁ~夜には近付かない事をお勧め 春には 桜にツツジの名所 近くの田原坂万十で饅頭を買って散策するのがオススメ
爽やかな風に乗って桜の花びらがお弁当に舞い散る素晴らしい一時。
訪問日
週末
待ち時間
待ち時間なし
予約をおすすめしますか?
いいえ
何十年ぶりに訪問しました。整備がされていて、散歩するには良いところです。 次は暖かい日に行ってみたいです。
訪問日
平日
待ち時間
待ち時間なし
令和5年3月29日、桜が満開でした。次はツツジでしょうか。
訪問日
平日
待ち時間
待ち時間なし
予約をおすすめしますか?
いいえ
明治10年西南戦争で激しい戦闘がおこなわれた場所の一部です。45年位前、18才の頃に熊本県荒尾市から熊本市内に行く時、よく近道で通りました。坂道の状態はいまも変わりません。
西南の役の激戦地でもある田原坂。資料館などで歴史を学ぶこともできますが、実は桜の名所でもあります。お花見シーズンにお弁当を持って訪れてみてはいかがでしょうか。
日本人みんなに知っていただきたい最後の国内戦争です。資料館のビデオを見ると勉強になります。決してふざけて来る場所ではありませんが、花見の時期は賑わいます。
桜の季節には たくさんの桜の木で とても綺麗 花見をする人が たくさん訪れるたまにはイベントなどもあっているようだ ツツジも綺麗 西南戦争の 記念館もある
西郷隆盛や西南戦争に興味ある方はぜひ。私の訪問は平日午後であったが、ほとんど人はいなかった。激動の歴史を一人静かに振り返ることが出来、良い訪問だった。
公園の北に、文学碑が多数ありましたよ!桜花爛漫の木陰で、眼を留めるのも一興ですよ!駐車場は広いし、眺めは良いし、歴史と文学の散歩にも最高でしたよ!!
春になり桜の季節に田原坂公園は最適です、3月30日(水)現在満開でございました。 週末までは見頃だと思いますので、是非おすすめです …
西南戦争 激戦の地 田原坂、西郷さんが不平士族をまとめ、日本の未来を想い、封建社会を終わらせた戦いであった様に思う、さすが西郷隆盛。
やってやれない事はない!強い心と体があれば何でも出来ます。田原坂は、命をかけた熱い勇気を、訪れる人に与えます。迷いを断ち切れます!
慰霊碑に可能な限りの戦死者名を記載しているのは驚き感心しました。役所管轄とはいえ年末年始も観覧できるよう検討してほしいところです。
西郷隆盛率いる薩摩軍と政府軍が互いの正義の為、激闘を行った西南戦争の資料館があります。 西南戦争時の状況が良くわかります。
学生時代になんとなく訪問済み 翔ぶが如くを読んで、再来訪せねばと心に誓いながらはや10年 未だ実現せず … もっと見る
田原坂 訪れました。 資料館には大人300円で入れます。 横井小楠のことなど知り公園も見晴らしもよく良かったです。
西南戦争の激戦地、田原坂。大河ドラマの直後で、年明け2日でも観光バスが来ていました。広い駐車場、トイレあります。
桜がとてもきれいです。山のあちこちに咲いていて、立体感のある桜並木とでもいうのでしょうか、見ごたえあります。
きれいな景色 静かな環境に癒されます。 激戦地という歴史も有りますが、 朝夕なら人も少なく散歩最適です。
なにもない景色の良い公園ですが、記念碑?!があり、南九州出身者には、とても、考えさせられる所でした。
資料館のリニューアルと併せて、南側に展望台が造られました。 満開の桜が眺められて大変良い眺望でした。
資料館や展望台があり、行って良かったなぁって思います。
訪問日
平日…
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資料館で上映される映画は、迫力があって見応えがあります。ガイドもお願いできるようです。
306 reviews
16 Kuwamizuhonmachi, Chuo Ward, Kumamoto, 862-0955, Japan
249 reviews
10-935 Hirogimachi, Higashi Ward, Kumamoto, 862-0906, Japan